私が生まれてから18年間過ごした実家は、鳥取県米子市淀江町今津にあります。すぐ隣りは大山町です。
母屋の書斎の窓から日本海に沈む夕日が見え、またダイニングの窓からは大山が見え、そして周りは田畑・・・という田舎です。
2017年9月に父が亡くなり、実家は空き家となりました。
ボロボロになった小さな離れを皆さんが気軽に田舎を体験できる基地としての「ゲストハウス」にしようと2018年11月に改装し始め、12月中旬にはほぼ工事が完了しました。
大阪に住んでいるため、準備がすぐには進まないのですが、ゲストハウスの申請を1月21日に終えて、3月にはオープンする予定で動いています。
そんな折、私が離れのゲストハウス化についてFacebookに投稿したした記事を見て、連絡をくださったサハラクミコさん(びっくりするような凄~い尖っている人たちとの人脈をたくさん持っておられるスーパーウーマン)のお引き合わせで、2018年11月に、人を巻き込んでいく数々のとても面白い取り組みをしておられる前田文化 の野崎将太さんとの素敵な出逢いがありました。
野崎さんは私の実家と同じ鳥取県「浜村チーム」 の宮原翔太郎さん(様々な地域を廻りながらパーリー建築 として活動した後、現在は浜村で喫茶ミラクルを作り、そこを拠点に新たな建築・コミュニティづくりにチャレンジ) とタッグを組んで、長持ちする母屋にしていく」という提案をしてくださいました。
「我々のコミュニティを作りながら行う建築は、建物との関りが出来るだけ長い方が良いと思っております。片付け時から発信を開始して、中身を一緒に考えていくのはいかがでしょうか。」
ということで、母屋の膨大な荷物の片付けから関わってくださることになりました。
素敵な出逢いを経て、とても面白くて素敵な若者集団 の皆さんの協力を得て、築80年以上の物が溢れた母屋のリノベーションもボチボチやっていくことになり、まずは片付けから・・・の「片付け第2弾」を2019年1月22日(火)~23日(水)を行いました。
↓↓↓スタートの経緯や第1弾の様子はこちらに掲載しています。
1月22日(火) ~23日(水)の2日間、大阪・奈良・兵庫・鳥取県の浜村・米子などから来てくださった皆さんが、屋根裏部屋、母屋の3部屋、そして様々な物入にある気の遠くなるような多くの荷物の数々を一気に片づけてくださいました。
片付けMAP
ビフォー写真が無い部屋も多いのですが、本当にどの部屋も足の踏み場が無いほど、物で溢れかえっていました。
皆さん、役割分担し、米子市の厳しい可燃不燃の決まりを確認して仕分けしながら、手際よくどんどん片づけていってくださり、2日間で、見違えるように物がなくなっていきました。
片付けをしながら、いろんな思い出がよみがえってきました。
一緒に片付けしてくださった皆さんも、出会ったことのない私の父母・祖母・そして私たちの小さい頃の暮らし・・・に触れて共有してくださり、とてもとても気が重かった片付けが一気に楽しい片付けに変わりました。
水色が第1弾(2018年12月)・黄緑が今回の第2弾(2019年1月)に片付けが完了した箇所です。
各部屋の様子
奥の和室
祖母が使っていた部屋です。亡くなってからは父の物置になり、多くのものが溢れていたのですが、綺麗に片付きました。
屋根裏(梯子を掛けて上がります)
ビフォーの写真は有りませんが、物が満杯に入っていました。
私が使っていたベビーベッドや江戸時代の古文書も!
洋室2
父が使っていたもので溢れていて、足の踏み場も無かったのですが、綺麗に片付きました。
洋室3
母が使っていたもので溢れていて、足の踏み場も無かったのですが、綺麗に片付きました。
その他
廊下・物入・玄関・お風呂焚口・土間など
廊下に置いてあったマットレスも切って処分してくださいました。
食事
サハラさんお手製・・・料理の数々
昼・夜、美味しい料理を堪能しました。
屋根裏から出てきた「跳び箱」
片付けが終わった23日(水)の夕方、屋根裏から出てきた跳び箱を皆さんに跳んでもらって、片付けは終了しました!
※跳び箱は、弟と私が小学生の頃、母屋で使っていた跳び箱です。母屋には跳び箱の他、鉄棒もありましたが、鉄棒はどなたかに譲ったようで、出てきませんでした。
皆さんがてきぱきと片づけてくださったお陰で、2日間で見違えるように物がなくなり、綺麗になりました。
参加してくださった皆様、本当にありがとうございました!
3月からは裏庭の整備や母屋のリノベーションに取り掛かる予定です。
とても楽しみです。